2012-06-17 Sun
ここでは、筆者である自分の事を紹介していきます。※後から加筆、変更などがあると思います。先に言っておきます(笑)
清水 勉 (しみず つとむ) 昭和42年10月23日生まれ
めがね時計宝石 シミズ で店長。店長とは言っても店員は家族のみ。
自営業です。
履歴
小学校は地元の西町小学校卒業。当時は生徒数が多く小学3年生の時に氷川小学校が出来て
半分位の生徒は新しい学校に行きました。
中学から東京の学校に通学。当時、電車が好きで(ブルートレイン等流行っていた)
自分の定期券を持つのに憧れていた気がする(笑)草加の駅も今とはまったく違ってましたね。
大学進学と同時期にメガネの専門学校にも通う。
当時、めがねの仕事をするのに資格が法制化されるかも!と言う事でされたら資格を
早く取っておいたほうがいいと父に薦められて通いました。
その時はまだ家業を継ぐとか考えていなかった気がします。資格ならないより
あった方がいいだろうくらいに。。。しかし、いまだにこの資格の法制化はなっていません。
専門学校は2年制で世田谷の上馬にありました。今なら中央林間行きで1本で行けますが
当時は通うのが大変だった記憶があります。
専門学校卒業後、神田の老舗の眼鏡店で修行(アルバイト)2年間しました。
もちろん、店頭にはめったに立たせてはもらえません。
掃除、雑用、等々、1年経った頃から眼鏡の加工(眼鏡作成)を任せてもらえました。
失敗して何度も店長から怒られたのを覚えています。
大学卒業後、今度は大手チェーン店(それほど大手でもないかな)に就職しました。
いつの間にか家業と同じ道を歩んでいきました。
このチェーン店は専門学校時代の友人も数名入社してて、いろいろと話を聞けました。
やはり、眼鏡の仕事で大変なのは(どれも重要ですが)検眼、視力検査です。
アルバイト時代はまったくさせてもらえませんでした。老舗でしたのでこんな若造が
出来るわけありません。ですがチェーン店はそんな事はありません。
何でもやるようになると!聞き、これは自分の為になるな!と
また、このチェーン店、独自の資格制度がありました。常にめがねの事を勉強してないと
給料に差がつくのです。ちなみに、この制度は今はありません、なくなったみたいです。
今でも覚えています。入社後、研修を受けて初めてお店に出た初日にいきなし、
視力検査をしました。この配属された店の店長が変わった方で、どんどん何でもやりなさいと。
自分はいい人だと思いましたが、のちのち、会社内では・・・な方みたいで。
組織というのは分かりませんね。
配属先は東京、埼玉ですが何店も転勤し本社勤務も経験し、辞める時は店長になっていました。
アルバイトの2年間と5年間の7年間外で働いて家に入りました。
28歳の時でした。
この時、同じ草加ですが少し場所を移動して新装開店いたしました。
メガネは修行して来ましたのでそれなりのレベルになりました。
時計は電池交換、バンド調整位しか出来ませんでした。
その後、機会があるたびに、めがね時計宝石に関するの講習会に参加しています。
めがねは、社団法人 日本眼鏡技術者協会 認定 SS級認定眼鏡士 の資格
時計は、 2級時計修理技能士 の資格
仕事で役立つ資格です。
めがねは最低年に1回は必ず講習会を受講しなくてはいけません。
時計は2級は検定試験に合格し、更なる上の級を勉強しております。
また、業界の組合に所属しておりまして
埼玉県時計宝飾眼鏡商業協同組合
全日本時計宝飾眼鏡小売協同組合(JOW JAPAN)
これらの同じ位の年の仲間と情報交換や勉強会を行って個人店では足りない部分を
補っております。
平成24年7月26日
メガネ業界で有名な「横田流フィッテイングセミナー」を受講しまして
横田流フィッテイング術 シルバー認定されました。
平成24年10月13日
長野県の「信州匠の時計修理士・精密時間調整A級」を講習及び訓練課程を修了
1日6.5時間を7日間受講。
課程を修了しただけでそれらの技術が身に着いた訳ではありません!
引き続き勉強していきます!!
平成25年12月11日
長野県の「信州 匠の時計修理士 2級」に合格しました。
平成26年2月26日
横田流メガネフィッテイング術 ゴールド認定フィッターになりました。
平成26年3月14日
国家検定 一級時計修理技能士に合格しました。
※長くなってきましたのでこの辺で一時中断します。また後日、続けます。。。